マンガ語りシリーズ第5弾『こわしや我聞(がもん)』
え~、今回は藤木俊(ふじきしゅん)先生の『こわしや我聞』を語っていこうと思います。
なんだかんだ調子に乗って4回も書いたこれまでの吉田直樹のマンガ語りシリーズとは異なり、2000年代の連載作品です。という書き出しで見せ方を変えようと思ったら『ユーベルブラット』も2000年代の作品でした、初ではなかったですね(^^ゞ あえて「初です」と言うなら、三大少年マンガ誌の連載作品からは初めてになります。メジャーな(雑誌に連載されてた)作品は知ってる人も多そうだから以前の投稿よりも検索されやすいんでしょうか(^^ゞ そうだといいな。
紹介用の表紙は2巻をピックアップ。やっぱり『こわしや我聞』と言えばこの2人でしょう。
『こわしや我聞』とは(Wikipedia から引用)
『こわしや我聞』(こわしやがもん)は、藤木俊原作の漫画。元々は増刊号での短期連載(5回)だったが、後に『週刊少年サンデー』本誌へ移動し、2004年11号から2005年52号までの全88話を連載。コミックスは全9巻。最終巻には単行本描き下ろしのミニ外伝が掲載されているほか、各巻にもおまけ漫画は多い。
(こわしや我聞 – Wikipedia から引用)
『こわしや我聞』のふわっとしたあらすじ
主人公の工具楽我聞(くぐらがもん)は、父親が行方不明のため高校生ながら実家の解体業社「工具楽屋」の社長を勤めています。
ヒロインは同じく「工具楽屋」の社員でしかも我聞と同じ高校に通う、社長秘書兼経理担当の國生陽菜(こくしょう はるな)。
我聞をはじめとする「工具楽屋」のメンバー(社員)は、普段はビルや家屋の解体業を行いつつ裏では「こわしや」として政府や企業からの「壊してほしい」依頼を請け負い、社員一丸となってさまざまな事件や困難に立ち向かっていきますよっていうストーリーになっています。
『こわしや我聞』は現在の日本が舞台の作品ですが、我聞がこわしや業を行うにあたって使用するのが「仙術」です。仙術とは言ってもいわゆる体内の氣を使用してあれこれするやつで、仙人みたいな感じではありません。
こわしやは工具楽屋以外にもいくつか存在していて、それぞれが異なる仙術を使用するのが特徴です。水を操る仙術、雷を操る仙術、植物を操る仙術などその他いろいろ。
その中で我聞が扱うのが「爆発」を操る仙術です。我聞が殴るとそこから爆発が起きて対象物をこわしたりします。物語の当初は我聞も未熟で仙術を上手に扱うことができないのですが、こわしやとしての依頼をこなしたり修行したりをするうちに仙術をコントロールできるようになっていきます。爆発を収束させて一方向に打ち出すことで、そう、かめはめ◯も打てるようになったりします。この辺りの我聞の成長も少年誌ならではの作品の見どころになっています。
『こわしや我聞』のオススメできるところとできないところ
『こわしや我聞』の面白いところは藤木俊先生のその他の作品にも通じるところになりますがキャラクターの魅力に尽きるといっても過言ではないと思います。
まず第一になんといっても女の子がかわいい。
藤木俊先生の絵柄には独特の味があって「どこかで見たような絵」という感じがほぼありません。
ただし、単純にイラストとしてのキャラ絵が上手ということではなく、キャラクターの設定(言動)もちゃんといい味だしてると思います。セリフや動きのあるマンガだからこそ知ることのできるキャラクターの魅力が『こわしや我聞』の魅力にもつながっていると思います。
逆に、ものすごくもったいないな~と思うのが、ストーリーの起伏ががどうにも淡白に感じられるところです。
これまた藤木俊先生のその他の作品にも通じるところになりますが、ストーリーの展開が王道(悪く言えばよくあるパターン)であることが多くなんとなく先の展開が読めます(^^ゞ
とはいえ、常に斬新で意表を突かれる展開ばっかりの作品もそれはそれで読んでいて疲れてしまいますし、『こわしや我聞』はあくまで少年マンガなのでストーリーが王道であることはそこまでダメなことでもありません。
初期設定をちょっと変えただけで冒頭は目新しく感じるけど物語が進むと展開はいつものアレという作品は今にはじまったことでなくいっぱいありますが、かといってそんな作品の中にだって人気作品だったり面白い作品だったりはいっぱいあります。
じゃあなにがいけないの?となると、要するに「魅せ方が弱い」「盛り上がりに欠ける」のだと思います。キャラクター達は精一杯動こうとしていますが、あれよあれよとストーリーの展開が先に進んで「ああやっぱりこうなったか」という流れで先に進んじゃってちょっと消化不良という感じがします。
我聞はまじめで責任感が強く、頼まれると断れない性格をしています。物事に集中すると熱くなってちょっと我を忘れてまた失敗してしまう。でも周りのみんなはそんな我聞のことを好ましく思っている、みたいな。
一方、仕事一筋で淡々と業務をこなす(しかも仕事ができる)陽菜は、そんな感じで失敗する(物を壊しすぎて損害を出したりする)我聞のことをイヤとは思っていないけれどちょっと呆れて見ている、みたいな。
これはこれでありがちなんですけど、これはこれでじゃあダメかって言われると別にダメじゃあないんですよね。
『こわしや我聞』のものすごくオススメできるところ
そんな『こわしや我聞』ですが、ものすごく話が盛り上がる時があります。ストーリーの本筋とは関係ない余談の回、いわゆるギャグ回です。
『こわしや我聞』は確か連載開始からサンデー本誌で読んでいました。
連載開始からしばらくは高校生兼社長兼裏稼業の我聞の成長と活躍を描くストーリーマンガかって感じで今ひとつお話に乗りきれていませんでした。
それが一変して展開が気になりだしたのが、GHK(※我聞(Gamon)陽菜(Haruna)くっつけ(Kuttsuke)委員会の略)が登場してからです。この回を読んで「おっなんか面白くなってきた」と思ったことは10年以上前のことですが今でもよく覚えています。ほんとだよ。
GHKの構成メンバーは、我聞の妹2人と弟1人、あと工具楽屋の女性社員です。どことなく頼りない我聞にしっかり者のお嫁さんとして陽菜をなんとしてでも迎え入れたいという兄弟の切なる願い(野望)を実現するためにあれやこれやと当人たちに気づかれないところで暗躍します。もちろんことごとく失敗するというオチです。
GHKの初登場は「単行本 4巻 第29話 悪だくみ」だそうなので、時期的には2004年の後半~末頃。
当時はまだ「ツンデレ」という言葉も一般的ではなかったと思いますがつまりは「デレな展開」への予感と期待がキャラ付けにも一役買いつつ先のストーリーにも興味が湧いてきたっていう感じだったんでしょう。まぁ、主人公が成長して敵を倒す正義を行使するというストーリーよりかは、ヒロインとくっつくかの方がマンガ的な楽しみは大きいように思います。もちろんこれはマンガの好みなので人それぞれ違うんですけど。
なんだ結局ラブコメ要素かラブコメ好きかと言われそうですが、まぁラブはさておきコメディは好きなのでそれは否定できないですね。
そんなわけで『こわしや我聞』はサンデー連載作品の中でも毎号読む作品ということになりまして、単行本も全部買ってました。実家にまだあるはずです。
今また読み返すとなるとたぶん第1巻から9巻(最終巻)まで読んでストーリーを追っかけ直すっていうよりかは、あの回とこの回っていう特定の好きなエピソードを読み直す感じになると思いますが、なんだかまた読みたくなってきました(^^ゞ 今度実家帰った時にまた読み直そう、うん。
しかし、藤木俊先生はもともとそっちのが得意なんじゃないかなぁとも思えるのですが、単行本の巻末におまけマンガとしてついている4コマなんかはとてもおもしろいです。
『こわしや我聞』の次に連載された『はじめてのあく』もサンデー本誌で読んでましたし単行本も買っていました。こちらは単行本で2ケタを超えた作品で『こわしや我聞』よりもちょっと長く続いたのですが、正気、後半は惰性で読んでる感じもあったりしました(^^ゞ あ、単行本は最後まで買いましたよ、ちゃんと。『はじめてのあく』はあいにく下宿に置いていたので引っ越す時に全部手放してしまいましたが。。。
やっぱりストーリーがなぁ原作者つければいいのにそうすればきっとものすごくおもしろいマンガができるのになぁと思ったのは、あの頃だったか最近だったかどっちだったか。
ただ、4コママンガを書いてもおもしろいんじゃないなぁとは今回ブログを書いてて思いました(^^ゞ
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